明星1988年6月号_記事_1

Shoji
<84年夏>
合宿所で高橋と出会ったんだ。話してるうちにロックのことでモリあがってさ。オレはマイケル・シェンカーが好きだ、って言ったら、あいつは”セックスピストルズ"って答えた。こいつヤルなあと思ってさあ。お互いの友だちを集めて、さっそくバンドをつくったんだ。ところが、みんな、ヘタでさ。ただ、音を出してるだけなの。あのときから残ってんのはオレと高橋のふたり。くされ縁だよ。
<85年春>
生まれて初めてTVに出たよ。番組は「欽ちゃんのどこまでやるの。」心には、バンドのことしかなかったから、ガムシャラなつもりでもどこか、冷めたところがあったかもしれないな。
<85年秋>
和田アキ子さんの息子役で、初のドラマ「妻たちの課外授業」に出た。合宿所から生田まで、電車で毎日通ったよ。朝、目覚ましかけて、ひとりで起きる。冬は特につらかったね。現場に行ったら中止だった、なんてことも結構あってさ。文句を言ったら、”連絡ミスだよ”と一言。バカヤローと思いながらも、通い続けたネ。高校中退してたから、仕事以外にやることなくてさ。わけもわからず、本気でやってたよ。岡本、前田と順にバンドに入ってきて、徹夜練習してたのも、この頃。
<86年冬>
みんな覚えちゃいねーかもしれないけれど、オレたちの番組が、この頃にあったんだ。「アイドル花組おとこ組」ってーので、4人で司会をやってたんだぜ。マネージャーなんていなかったから、でかい荷物もって、4人でタクシーで行ってたよ。追っかけからのガードも自分らでやってたの、ハハハ・・・。
<86年春>
「ここんちプラネッと」の頃だと思うんだ、オレが一番悩んでたのは。仕事はマジでやんなきゃいけないけど、バンド練習も、やりたいってね。おまけに、いつも相談してた親友がアメリカに留学しちゃってさ・・・。
<86年4/27>
そんな悩みをふっとばしたのが、この日、名古屋でやった、ファースト・コンサート(写真②)。オレたちってさ、才能のないクソ野郎の集団って、みんなに思われててさ。コンサートなんて、できっこねーって言われてたんだ。それがこの日に爆発してね。ヘタだったけど、パワーはスゴかったよ。絶対にホメないジャニー(喜多川)さんが泣きながら、「成田、すばらしかったよ」って言ってくれたときは、涙が止まんなかったね。
<86年秋>
「ヤンヤン(写真③)」のレギュラーとラジオ「いくぞ!男闘呼組(写真④)」が始まったんだ。どちらもさ、肩の力を抜いて、楽しみながらやってたね。ラジオは一番自由にできるから、今でも、一番楽しみな仕事だよ。
<87年春>
「ギブUPまで待てない!!」なんつーのもやったなぁ。短命だったけど・・・。
<87年夏>「僕の姉キはパイロット」(写真⑤)と<88年初春>「ロックよ、静かに流れよ」(写真⑥)、どちらもオレたち4人でやったドラマと映画。オレが主役ってかんじだったから、一生懸命だったな。ほかの3人に迷惑をかけるわけにいかないもんな。このオレが、前の日に台本を読んでたんだから、スゲーもんよ。でもさ、オレの中に俳優って意識はないんだよね。仕事に対しては、常に全力投球だけど、やりたいことはバンドだから。オレらドヘタだから、とにかく練習しなくちゃダメなんだよ。うまくなりてーよ。今、カベにぶち当たってんだ。しんどいけどやらにゃーな。