杜の都、仙台。

1993年8月に今回の会場となったトークネットホール仙台で男闘呼組ライブが行われるはずだったそうです。

本当に久しぶりに仙台の地に立って感じたことは、東北ならではの澄み切った空気、美しい新緑の光景に包まれてなんとなく心が洗われるようだったということです。少し肌寒さも残りますが、この美しい5月という季節に男闘呼組のLAST LIVEが行われるのは、彼らがこの最も美しい季節に東北を訪れてくれること東北県民として、とても嬉しく思います。

1部は会場後方から、2部はほぼ中央付近からライブに参加したのですが、ライブ幕開けで会場全体が一体となって盛り上がる様は、他の会場と比較して圧倒的でした。

おそらく会場が小規模だったことが関係していると思いますが、男闘呼組4人を迎え入れるファンが、客席から一体となって手を挙げて盛り上がっている姿はライトの効果もあいまって本当に感動的でした。それを見ているだけで涙がでそうになりました。

個人的に東北の人は控え目な方が多いと思っています。控えめだけれど、粘り強く忍耐強い。気候が厳しい地域が多いことからそのように言われることもよくありました。また同郷意識も強い方だと思います。

ライブ会場では、そのような背景もあってより一体感が強まった感じがありました。4人へも本当にたくさんの声援が飛んでいました。それに応えてくれる4人にも本当に感謝したいです。ある男性が「健一!!」と叫んだのですが、健一さんが「なんだよ!!」と反応してくれるなど観客とのやりとりも何度かありました。

2曲目のRockin’ my soulで昭次さんが「誰も~!」と歌い始めるシーンで、「きゃー!」と歓声が上がるところなどは、やっとライブに来れた人がたくさんいるんだなぁと感じられて嬉しくなりました。

2部のアンコールの挨拶は、久しぶりにデビンくんの美しいBGM付きでメンバー4人とも感情が高ぶっているのが見て取れました。

耕陽さんが、会えなかった30年余りの間に東北の人たちは本当につらい思いをしてこられた。今日またライブで会えて本当に嬉しい、男闘呼組としてはこれが仙台では最後になりますが。と話すと涙声に・・・

こちらも涙がでました。耕陽さんの東北県民に寄り添ってくれるその言葉が何よりも嬉しかったです。

2011年3月11日。きっと1988年当時男闘呼組が好きだった人の中にも命を落とされた方がいるでしょう。あの大災害がなければ、今一緒にこの会場で男闘呼組のライブを楽しんでいたかもしれない。そう思うと、より一層いまここで東北の人たちとライブに参加できていることが、どれだけ奇跡的なことなのか、考えずにいられなくなり、涙が止まらなくなりました。

最後に和也さんが、「4人の仲間とみんなとこんな日が来るなんて、本当思っていなかった。でも、いまこうやって現実にみんなと一緒に・・・もう最高です」と涙ながらに締めてくれた後に、流れきたパズルの美しい前奏。そこに交じって鼻をすする音が聞こえてきたので、きっとこれは昭次さんだろうなと思い、涙で歌えなくなりそうだなという予感がありました。

「鋭いナイフのように~♪」と歌い始めた昭次さんは完全に涙声。昭次さんは泣きながら歌うとき、音程がとても不安定になるため遠くからでも泣いていることが分かることが多いです。1番でサビで完全に歌えなくなってしまいました。ずっと下を見て歌えない昭次さんに、最初はみんな声をかけたり拍手をしたりして励ましていたのですが、それが皆でパズルの大合唱にかわり感動の渦に包まれました。

一生懸命に涙をこらえて歌おうとする昭次さんとそれを支えるファンの歌は、まさしく大きな1つの美しいパズルとなって仙台の会場に響き渡りました。

カーテンコールになっても昭次さんは泣いており、鼻が真っ赤になっていました。

メンバーにとって、仙台公演は本当に思い出深い土地になったのではないかと思います。それくらい盛り上がり、涙したステージでした。

この感動をどう皆さんにお伝えしたらいいのか。うまく伝えきれていないとは思いますが、奇跡的な瞬間に居合わせたような気がして、そのような感動的な風景を少しでもお知らせできたらと思いました。

他にも、楽しいシーンもたくさんあったライブでしたので、後編として明日以降レポをアップさせていただきます。ちょっと今は放心状態なので、この辺で・・・

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