前橋で東日本エリア前半のライブが一区切りつきました。
前橋も最高のライブでした。「最高」以上に最高を表現する言葉があったら、それを×10くらいしたい気分です。
仙台で地方への本格的なツアー場始まったわけですが、どの会場も本当に言葉にならないほどの感動の連続です。全てを後世に残せたらなぁと絶対に叶わないことを考えてしまうほど、熱く燃え、彼らの想いに涙した時間になっています。
前橋のレポは仙台同様、前半と後半に分けて記載します。(前半はMCを中心に)
「3年くらい前に男闘呼組の曲やってみようよってことになって、27年ぶりにに名古屋に集まって音を出した瞬間、男闘呼組の4人でライブをやっている光景が見えた。浮かんだからには実現したいなと思い、気持ちは伝えていたけれど、そこから、今こんなこと(すばらしいこと)になっている。」「27年会ってなくてよかった(笑)(休止したことは)男闘呼組の運命だと思う。」「93年にまわっていないところに行きたい、客が数名だっていい。まずはライブをやろうよ、ということでとってもらった会場。そしたらこんなにいっぱい人が来てくれて、20代の頃には見られない光景を見ることができ、生きていてよかったと思う。」「当時、ライブに来られなくなってしまった人もいたと思うし、つらい思いをさせてしまった人もたくさんいると思う。それは自分たちの責任だなと思うこともあって、それを解消したくて今集まっている。1日2回もこの前橋でライブができることは本当に幸せ。ありがとうございます。良いエネルギーと良い空気を持って8月まで突っ走っていきたい。」「それ以降も俺たちは音楽をやり続けると決めた。また会いましょう。ありがとう。みんな長生きしましょう。俺も長生きしたいけど、いつ何時何があるか分からないから、今のこの一瞬一瞬を大切に過ごしていきたいと思う。本当にありがとうございます、愛してます」(健一さん)
「皆さん今日はありがとうございます。今日も最高の1日です。こんなにたくさんの皆さんが応援に駆けつけてくれて嬉しい。」「色々話したい事ある、話すと長くなってしまうと思う。僕は10年以上音楽の仕事を離れて遠ざかっていたのですが、その間、色んな経験をさせてもらえた。でも本当につらい時期も正直あった。人生の中で最悪、最低な自分もいたと思う。だけどそんなことばっかり思っていても先に進めないと思い、当たり前のことだけど一生懸命前を向いて頑張るしかないということだけを思ってやってきた。でも突然すごい悲しみに襲われることもあって、なかなか立ち直ろうとしても立ち直れないこともあった。いまやっとそういうことを乗り越え、その先にまた男闘呼組メンバーと再会できるなんて思っていなかった。本当にありがとう。(3人を見ながら)和也、健一、耕陽、本当にありがとう。4人をめぐり逢わせてくれたジャニーさんにも感謝しています。」「31年ぶりだというのに、こんなに素晴らしい男闘呼組のファンのみんなが駆けつけてくれて嬉しいです。心配や迷惑をかけたことがあった。その分こうして音楽の仕事をさせてもらうことができるようなったので、ボーカリストとしてギタリストとして、また一つ上の極みを目指して頑張っていくので、これからも男闘呼組とRockon Social Clubをよろしくお願いします。」「健康第一、岡本健一で!体を労わって。今日は母の日。お母さんに感謝を伝えてください。本当にありがとうございました。」(昭次さん)
「30年ぶりに活動をする。そういうバンドはだいたい東京の大きな会場で1回ライブをやって終わりにすることが多いのだけど、僕たちは30年前に中止になったところをまわりたい、みんなの顔やノリを近くで感じられるところでのやりたいということでツアーをまわっています。」「皆さんからすごいパワーをもらった。8月は武道館があります。そこでは今よりも最高のステージにしたい。また会いにきてください。」「昭次が僕ら3人に感謝してると言ってくれましたが、ステージに戻ってきてくれてありがとう!僕ら4人の友情は永遠です!」「みなさん、昭次が戻ってくるときに歌った歌「パズル」のピースになってください」(耕陽さん)
「本当に、このバンドにいれて最高だ。俺たちまだまだたくさん可能性秘めているから。。。SONGSにも出る。最高な演奏を日本全国に届けたい。本当にどうもありがとう!みんな愛してるよ!」(和也さん)
みんなでパズルを歌おうというと和也さんが呼びかけで、パズルがスタートしました。和也さんも昭次さんも涙・・涙・・・それでも自分のパートをしっかり歌い切り、後半は私たちファンのみでの合唱となりました。和也さんも顔を崩して涙顔。そんな感動的なシーンのラストは「(パズルに)なったんだ~」の入りをフライングしてしまい笑いに。。そんなところも男闘呼組ファンらしくて良かったと思います。
パズルを歌いながら涙が流れました。これは単なる感動の涙ではなく、最後の4人の挨拶も踏まえて、「パズル」のストレートな歌詞、美しいメロディを感じながら、4人の絆がより強固なものになっていることを、私たちファンとも魂でつながっていることを確認するような時間になったと感じたことによるものだった気がしています。
1部も2部も、昭次さんは自分の言葉で自分の気持ちを一生懸命伝えようとされていました。その言葉、一つひとつに、とても重みがあり、昭次さんの強い覚悟を感じました。
雑誌の取材で既に話をされている内容もありましたが、これまで過ごしてきた苦しみの時間、それを乗り越え努力を続けてきた先にあった4人との再会、男闘呼組の再始動。感謝と決意。芸能界だけで20年以上も生きてきた昭次さんが、一般の会社員として地道に働いていくことは本当に大変だったと想像します。同時に悲しい出来事にも直面しています。名古屋では、素直に学ぶという謙虚な姿勢を貫いてきたからこそ、たくさんの人に愛され、支えられてきたように思います。以前、自分は人に恵まれたとおっしゃていましたが、昭次さんの人柄がそういう環境を作っているのかなと、昭次さんの話を聞いているといつも思います。
ライブでこのようなことを話すのは、怖いところもあったと思います。それができるようになるほど心が強くいられるのは、メンバー4人でステージ上にいられることが大きいのではないかと思います。もしかしたら、今も突然の悲しみに襲われることが完全にはなくなっていないかもしれません。孤独な時間は色々な感情が襲ってくるものです。でも今は、4人でいる時間や4人がつながっているということが、大きな安心感につながっているのでしょう。男闘呼組のメンバーと居る時の表情は、若かった頃を彷彿とさせることが多いです。
健一さんは、いつも淀みなく自由に自分の考えを話してくれます。活動休止は男闘呼組の運命だったんだという言葉、きっとそうなのだろうと思いました。ただその運命を休止のまま終わらせずに、解散ということになるけれど再始動への道筋を作ってくれました。これが運命の導くままになのか、運命を変えるほどのエネルギーで実現した結果なのか定かではありませんが、空白の30年間には確かな意味があって、必要な時間だったのだということが納得がいった瞬間でもありました。そして、健一さんの口からもこれからも音楽をやり続けるということを聞けて嬉しいです。
耕陽さんは、いつも端的に気持ちを伝えてくれます。今日も分かりやすい言葉でシンプルにファンへの感謝の気持ちと昭次さんへの気持ちを伝えてくれました。私たちはいつも昭次さんに戻ってきてくれてありがとう!と思っていましたが、耕陽さん自らが公の場でそのことを伝えてくれるのは本当に感動的でした。
和也さんは、MCでのしゃべりが多いためか、挨拶の時間は、とても短い(あるいは何も言わないか)のですが、男闘呼組のメンバーでいられることの喜びが伝わり、私たちも男闘呼組のファンでいられることの幸せを感じます。
感動的なライブが開催されている中で思うのは、これまでの男闘呼組4人の奇跡のようなストーリーは、いま、現在進行形で全国各地のファンとともに作り上げられていて、8月の武道館ライブで完成するのだということ、それ以降にどんな新たなストーリー展開が待っているのかも、とても楽しみです。
私たちの愛して止まない男闘呼組は、こんなにも素晴らしい絆で結びついているグループで、たくさんの感動をもらいながら、4人をこれからも応援し続けることができる幸せに感謝したいです。